嘘だらけの捏造ストーリー

金屏風事件 デマ拡散防止!Yahooブログに書いた内容に少し追記あり

5.本人達が事件について語っている事

ああだこうだと勝手に推測したり、他の人達が語る事よりも、当事者の二人が語っている事が一番信頼できるのではないだろうか。


■マッチの語るあの事件の事

マッチがあの事件について語ったのは1990~91年に週間明星で連載された「もう一杯分話そうか」とうエッセーの中での事。
このエッセーは1992年に書籍化されている。
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書籍化された「もう一杯分話そうか」のP.178

ー女のモロさを初めて知ったー
に書かれている文章をそのまま…という訳にはいかないので内容を簡単に書こうと思う。

事件があったのは僕の部屋だという事は間違いないし、その点は何を言われても仕方ない。
当時、彼女は精神的にも肉体的にも弱り切っていて、その頃頼れるのは僕しかなかっただろうと思う。

 

彼女があそこまで追い詰められてるっていうことは想像できなかった。

 

悩みを聞いたりしてはいたけど、仕事の悩みにしても僕が解決してあげられるような事じゃなく、聞き役に回ったりもしたが、やっぱりそんなに力にはなれなかったと思う。それが残念だった。
女の子っていうのは想像する以上にもろくて折れやすいもんだと知った。

 

救急車を呼んだ時は、これでマスコミに騒がれるという事は冷静に判断できたけど、
マスコミうんぬんよりとにかく彼女の事が心配だった。
彼女の姿を見て、僕はこの子を白紙の状態、何事もなかったように元のままの状態に戻してあげなきゃと思った。

 

あの事件に関しては、非常に微妙な問題だから加害者も被害者もない。
ただ僕は彼女に元気な元の姿に戻って欲しいと思っただけ。

 

今は事件の事は引きずっていない。
彼女に対しては応援したいという気持ちがあるだけ。
翌年の彼女の誕生日にお祝いに行ったのも、早く元気に活躍してほしいと思ったから。
ずっと会っていないけど、テレビで頑張っている姿を見ると、良かったと思うし嬉しい。

 

ちょっとした言葉からどんどん話だけが膨らんでいっちゃうのは本当に怖い。
報道の恐ろしさは何度も味わってるけど、
事件の原因から経過まで、まるで見てきたみたいに言ったり書いたりするのにはあきれた。


僕自身、世間に誤解を受けるイメージが付いた部分も確かにあると思うが、日本中のひとりひとりに「実はこういう人間です」って話して歩けない。
何よりファンのみんなが分かってくれてるから。
事件後初めてのコンサートの時は、僕の事をこんなに思ってくれてる人達がいるんだって感動して涙が出た。

もう大丈夫!叩かれ強い男になりました!

そして、最後はこう締めくくっている。

話せることは全部話したつもり。
これを最後に、この話はもう他でも一切しないと思う。
僕以上に早く事件を忘れたいと思っている人がいるのに、男の僕が今更過去を掘り返すことはもう嫌だから…。

この言葉の通り、この後はマッチは事件の事に関してはどこにも一切語っていない。

 

 

■明菜の語るあの事件の事

明菜ちゃんがあの事件に関して発言しているのは、マッチが語った数年後、雑誌「マルコポーロ」1995年1月号でのインタビューだ。
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P.73の「中森明菜激白」の

ー家族へ愛想が尽きたことー
これは色んな所で引用されているので読んだことがある人もいるだろう。

雑誌「マルコポーロ」1995年1月号

中森明菜激白」P73より引用


「家族へ愛想が尽きたこと」

家族のために17歳で働き始めた。
87年9月・「大明華ビル」開店
(1Fには、父親、長姉夫婦、次兄夫婦のそれぞれ経営する飲食店。2・3Fは賃貸居)
88年5月・父親のお店だけが営業する事態に。

 

五年前の、あの騒動のときも、家族は私の気持ちなんて、結局、何にも分かってくれなかった。
事務所のいうことは信じても、私を信じてはくれなかったんです。

家族って他人じゃないから余計に困るんですよね。
たとえば恋愛なら、たかが・・・って自分に言い聞かせられるじゃないですか。
相手はしょせん他人なんだから、仕様がないじゃない、そう割り切れるでしょう。
でも、血が繋がっていると、どんなにわかってくれなくても、捨てようと思っても捨てられないんですよね。

 

昔、長女の姉とか、次男とか、父親にお店を出してあげたんです。
でも自分が苦労して出したお店じゃないから、すぐ潰しちゃう。
頑張らなんですよ。
その後も四年も五年も仕事しないし、何かちょっとやっても、すぐにやめちゃう。そんなのを見ていると、私が歌手になったのが間違ってたんじゃないのか、そう思えたりして・・・。

 

そんな一方で、家族は私に内緒で事務所から毎月お金をもらったりしていた。
変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです。

 

近藤さんのことは私はもう何とも思ってません。
・・・(中略)・・。
五年前の騒動のときは、自分が今まで生きてきたのは一体何だったのだろう?
そんな絶望感でいっぱいで・・・。
会社に対しても、家族に対しても、とにかく人間が誰も彼も信用できなくなったんです。

私が一生懸命にやってきたのは一体何だったのか?ってそう思ったときには、もう、正直、恋愛どころじゃなかったです。

もう少し真剣な恋愛してたり、結婚とか中身の濃い何かがある相手がいたら、あんなふうにはならず、どうにかなったのかもしれないけれど、私はもう独りぼっちだった。
だから、あんなことも出来たんだろうし。

 

近藤さんには対しては、騒動に巻き込んで大変な迷惑をかけて申し訳ないことをした、そんな思いだけでした。だから、数ヶ月後に彼とはお別れしました。
今、私の気持ちの中には尾を引いているものは何もありません。未練なんて・・・。
女性週刊誌などは、おもしろおかしく私の心理を書いてくれますけどね。

こんなに家族の事を赤裸々に語るのは凄いなと思う。

これを読む限り、マッチに未練や恨みがあるとも思えない。

 

 

「最後に」へつづく↓